65年前の夏
毎年この時期になると、頭に浮かびます。
灼熱の太陽とクリアーな深緑と蝉の声…。
テレビの番組も少し意識しますから自然とそういう気分になりますね。
1945年の今日、広島に原爆が投下されました。
きっと当時も暑かったんだろうなぁ…って。
昨年は、わが町川崎市に残る戦争遺跡ということで、
”登戸研究所”についてレポートしました。
今年は…、
これじゃあわかりませんよね。
ここは”井田山”です。
オレの生家はこの近所にあったんで、小さい頃ホントにここでよく遊びました。
すぐ横に幼馴染の”よっちゃん”チがあって、
暗くなるまでそれこそ泥んこになってここで遊んでました。
この山の裏側に”防空壕”があって、
水浸しになってる途中までよく中に入ったりしてましたが、
当時のオレはその意味をまったく知ることもありませんでした。
ここには、”東京航空計器・地下疎開工場”があったそうです。
※東京航空計器株式会社HP[http://www.tkk-air.co.jp/index.html]
そしてここは…、さらにわかりませんよねぇ。
”海軍・東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊”の施設があった場所で、
当時6本あった通信塔の最後の1本がつい最近まで残っていたらしいんです。
最近まで、この東京航空局が鉄塔を再利用して現役の通信塔として使っていたようでした。
戦争遺跡というものは、”保存する”という意識にはなかなかならないようですね。
昨年の”登戸研究所”も一部取り壊されてさら地になってましたから…。
この鉄塔の西側には、艦船からの通信を一手に受信する地下施設があったようで、
入り口に看板が立てられ、管理されてるとのことですが、
かなりウロウロして探し回りましたが、ついに見つけることはできませんでした。
代わりに…、
ただの団地ですが…、
ここは市営の久末団地ですね。
畑に出ているおばあちゃんに尋ねたら、
この久末団地は昔、陸軍の兵舎だったんだそうですよ。
(※調べてもわかりませんでした。)
おばあちゃんは、”嫁に来たんじゃないから”って、
生まれも育ちもずっと久末だったんだとか。
おばあちゃんチの畑の一部が陸軍の高射砲陣地になっていて、
沖縄戦が始まると九州に転進して行ったんだとか。
地下壕とかもたくさん掘られていたようで、
掘削の音がズシンズシンと怖かったんだそうです。
”生き証人”ですから、迫力のあるお話でしたね。
貴重なお話をホントにありがとうございました。