平賀源内

『土用丑の日』という一文で鰻屋の売り上げがどれだけ助かっているかと。このコピーを考えた人こそが『平賀源内』といわれてる。小林亜星さんや浪速のモーツァルトキダ・タローさんのように歯磨き粉の宣伝のために歌まで作ってる。いってみれば『コピーライター』のはしり。彼は医者の杉田玄白などとも交流し『本草学』を学んだ学者。長崎に遊学し蘭学も学んだ。日本ではじめて油絵(洋画)を描いたのも源内といわれてる。製鉄事業を起こしたり、戯作本を書いたり、時にはエロ本も書いた。『火浣布』や『金唐革』、『源内櫛』や『エレキテル』にいたるまで、数々の偉業を成し遂げた。彼は孤高の天才であり、医者であり、蘭学者であり、画家であり、詩人であり、事業家であり、発明家であり、コピーライターでもあり、作家でもあった。誤って人を殺めてしまい、獄中で死んでしまう。こういうマルチな才能の持ち主にあこがれるのは身の程知らずもはなはだしいが、歴史上の最も尊敬する人物のひとりがこの『平賀源内』です。